映画やテレビで昭和時代のオフィス風景が流れると、今は当たり前にあるパソコンがデスク上に見当たらなかったり、オフィス内で喫煙していたり、どこか違和感のある風景が目に映ります。
オフィスの風景が時代とともに変わったことと同様に、営業スタイルも昭和の時代と現代の平成ではだいぶ変化してきました。現在はちょうど昭和と平成の営業スタイルが混在している時代だと言えます。
では、昭和と平成の営業では何が違っているのでしょうか?ここでは、昭和と平成の営業スタイルの違いをご紹介していきます。
目次
営業方法
昭和時代は飛び込み営業
昭和の時代、携帯電話はまだ普及しておらず、もちろんメールもインターネットもありませんでした。
そのため、事前情報を収集することは難しく、地図を片手にアポなしで訪問する飛び込み営業がメインでした。
営業は足を運んで、顔を売ってなんぼという考えがあり、既に取引のあるクライアントでも定期的に訪問をしていました。足で稼ぐ営業が一般的な時代でした。
平成時代は反響営業
平成の現代では、広告手段も増え、顧客も電話をせずにWebから問い合わせてくることが増えました。
それに合わせて反響営業を主力とする企業も増えています。相対的に飛び込み営業がメインの企業は減少傾向です。
問い合わせ後の連絡や訪問のアポ取りもメールが好まれるようになり、電話営業をする機会も減ってきています。
同様にクライアントにアポなしで顔を出す機会も減っていて、クライアントとの結びつきは昭和時代の営業スタイルに比べると関係性は少し薄くなる傾向にあるようです。
マインド
昭和時代はモーレツ社員が営業の鏡
高度成長期と言われた昭和の時代、『巨人の星』に代表されるように苦しい特訓に耐え、血のにじむような努力を重ねた人間がスポーツで大きな結果を残していくというスポ根と呼ばれるジャンルが人気を博しました。
この根性が重視されがちで、そのような風潮はスポーツだけでなく社会全体においても同じでした。
営業もでもノルマ達成は絶対であり、壁に売り上げ成績が貼り出され、会社に忠誠心を払い、何を差し置いても会社を優先とするのが当たり前のように考えられていました。
企業戦士、モーレツ社員などの言葉がそれを象徴しています。
ノルマという言葉も減った平成時代
営業に数値目標が課せられるのは現代も同じです。しかし、平成に入ると主に求職者からノルマという言葉自体が好まれなくなり、営業職の求人広告にもノルマ無しなどと書かれることも多くなりました。
働き方
会社と運命を共にした昭和
深夜残業も当たり前、休日出勤も厭わず働くのは、デキるビジネスマンの勲章だと考えられていた時代でした。
好景気に沸く日本の成長を支えているという誇り、会社の成長を支えているのは自分だという自負がそれぞれの営業マンを突き動かし、社会全体が働き続けることを推奨していました。
また、夜の会食や休日のゴルフなどの接待も多く、就業時間を超えてクライアントとの付き合いもありました。
同じ時間を長く過ごすことで、社内の同僚だけでなくクライアントとも取引相手以上の深い絆を築き上げていました。
仕事とプライベートを切り替える平成
平成に入り、昭和の時代のように家族との時間やプライベートな時間を会社に捧げるような風潮は薄れてきました。長時間労働による過労死や上司のパワハラなどが社会問題となり、ブラック企業という言葉も登場しました。
仕事は仕事、休日は休日とオンとオフを切り替える傾向がはっきりし、オフである休日に会社のイベントが計画されることも減ってきています。接待費を経費として計上しない会社が増えたこともあり、クライアントの接待も昭和の時代に比べると少なくなっています。
ハイブリッド型がデキる営業マン
情熱をもって仕事に励み、飛び込み営業に汗を流した昭和の営業マン、情報を上手に操作し効率よく営業を行う平成の営業マン、どちらの方が優れていてどちらの方が劣っているということはありません。
経営層や管理職には、昭和時代を知る世代の人が多く、現場で働く社員には平成世代が多くなります。何度も訪問し、情熱をぶつける昭和の時代の営業方法が功を奏する場合もあります。
反対に、直接訪問や電話ではなく、メールで端的に話しを進めた方がよい場合もあります。
相手によって営業方法を変えられる、ハイブリット型の営業マンがデキる営業マンと言えるでしょう。
まとめ
平成の時代となって30年となる現在、時代の流れとともに営業スタイルにも変化がありました。
しかし、現代においての飛び込み営業も、全く効果がないものかと言えば、そうではありません。会社によっては、飛び込み営業を推奨しているところもあります。
情報を操作してスマートに営業する平成スタイルと、足で稼ぐ昭和スタイル。それぞれの良い点を取り入れ、自分に営業のやり方を探してみてください。