32歳で転職した渡邉知(わたなべ さとる)さんは、新天地で始めて営業をすることとなります。何をやってもうまくいかず、営業成績はほぼ最下位。
周りのアドバイスを聞いてもプライドが邪魔をし、自分流でやるもうまくいかず、ついには体調を崩すまでになってしまいます。ところが、あることをきっかけに成績は上がり、1年後にはMVP、そして全社的なトップ賞をとるまでに。そのきっかけとなったできごとや、なぜトップになることができたのかを伺ってきました。
目次
プライドが邪魔をし、アドバイスも聞けなかった1年半
営業職になったきっかけはなんですか?
最初の就職先では人事部採用担当でした。その後、32歳でリクルートに転職し、営業配属となります。部署名は「総合企画部」でしたから、企画のような仕事をやるのかと思っていたらバリバリの営業職だった笑。転職当初から営業を望んでいたわけではありません。
どのような営業でしたか?
部署のミッションが、「日本を代表するリーディングカンパニーの新卒・中途採用支援に関することはなんでもやる」というところでした。僕は15社くらい担当していましたが、お客様からはひっきりなしに電話がかかってきて、常に何かに追われている状態でした。
最初から営業成績はよかったのでしょうか?
最初は、お客様の要望をバットで打ち返しているだけでした。来る日も来る日も、目の前にある仕事をこなすだけ。なので、業績もあがりません。
メンタルはかなりやられましたね。体力勝負で頑張ることはできたのですが、進むべき方向はわからず、売れるための糸口も見えず、暗闇にいるようでした。
営業成績が振るわないときの感覚はどんな風でしたか?
前職ではそれなりの実績もあり、最初は周りも私に期待していたと思います。こいつはどこまでできるんだろう?と。けれど、その期待がどんどんしぼんでいくのがわかりました。仲間は皆、真摯になってアドバイスをしてくれるのですが、総じて年下。結果が出ている年下からアドバイスを受けることは、その当時の私にとっては屈辱で、半ば鬱状態に陥っていたと思います。
当時は結果を出さなくてはともがいていて、かつプライドも高かった。彼らよりもできると思っている自分が、どうして彼らからアドバイスを受けなければいけないのか。俺は惨めだ。殻に閉じこもってしまって、孤立感を深める1年半でした。
運命の電話でスイッチが入り、異動で花が開いた
その後、MVPなどを複数回受賞されていますが、転機は何でしたか?
きっかけは2つあります。一つ目は、僕が入社して9〜10ヶ月目くらいの時の気持ち的な変化です。
そのときの僕は目標を達成することを諦めていました。でも、ある日、僕と年次が近しいメンバーが電話をかけてくれたんです。出張先の韓国から、お客様の接待終了直後の夜にです。「さとるさん、目標達成、諦めていませんか?」って。僕はいつものように諦めていた。達成は無理だろうと思っていた。そんな中で、韓国に出張に行っている彼が僕の目標数値を知っていて、かつ国際電話をかけてまで僕に発破を掛けてくれた。何でも力になりますと電話口で言ってくれた。彼は自分の目標なんてとっくに達成していて、自分のことだけじゃなくメンバーのこととかグループとか会社の数値を見る視点で仕事をしていたんです。
一方で僕は、殻の中に閉じこもって自分の数値に向き合うことすら放棄していた。本当に情けなかった。そして、彼に憧れました。その視座に到達するにはどうすればいいのかと考えるようになったんです。自分は変わりたいと素直に思えた。電話が終わってから泣きました。仕事で泣いたのは初めてで、それが悔し涙なのか感謝の涙なのかわかりません。でも、それからは、少しずつ素直になれていった気がします。
あの電話が大きなきっかけとなり、スイッチが入りました。それまではすべてを反射していたのですが、素直に受け止められるようになった。相変わらず売れはしなかったですが、仲間やお客様の言うことや、アシスタントさんの話を聞けるようになりました。それまでは「さとるさんと一緒に仕事したくない」って言われてましたから(苦笑)。
2つめは、配属部署が異動になったことです。
部署異動になってグループが変わった途端にMVPをとったんです。1年くらいですかね。気持ちの在り方が変わったタイミングでの異動は、案外大きかったのかもしれません。ほぼ最下位から1位。さらにそのあと、リクルートグループ全体の営業表彰であるトップガンアワード(※)もとったわけです。
あまりに劇的すぎて、社内表彰の時に、前の部署の仲間からは「何が起こったんだ」って聞かれたことを覚えています(笑)。
※トップガンアワード(TOPGUN AWARD):リクルートグループ全社の中で、優秀な業績を残し、且つリクルートのビジョンを体現しているメンバーに贈られる賞。受賞時にはグループ全社員の前でプレゼンを行う。
反射しなくなったら、相手が受け止めてくれるようになった
反射とおっしゃいましたが、具体的にどんな感じだったのでしょうか?
色々な人がアドバイスをしてくれましたが、「俺は俺」って思っていて、頷きながら実は全く聞いていませんでした。受け止めた素ぶりは見せるけど、心の中では全く受け止めていない。何も中に取り込んでいなかったんです。
それは営業先でも同じです。お客様企業にはそれぞれ社風があって、ビジョン、人材要件、採用プロセス、面接の評価基準などがあるわけです。けれども僕は、自分のやり方を常にお客様に押し付けていた。面接はこういう風にしたほうがいいとか。たぶん僕は、自分の意見とお客様の意見、どっちが勝つか、勝負みたいに臨んでいたのだと思います。
お客様との関係性も変わりましたか?
そうですね。あの電話をきっかけに、お客様の話を受け止め素直に聞けるようになりました。人の話がすっと身体に入ってくるようになったんです。こちらが素直になると、相手も心を開いてくださることがわかりました。そうやって関係性が変化し、「私たちは一緒にやっているパートナーですから」と言ってくださるお客様もいらっしゃいました。
人と人とのコミュニケーションを楽しめば自然に結果がついてくる
▲株式会社ファイアープレイスが運営するコミュニティスペース「ROCKHILLS GARDEN」多数のテレビ番組や雑誌でも紹介、利用されている。
素直になるとは、具体的にどんな行動をとることでしょうか?
僕は、営業をやったことがなかったので、「営業はこうあるべき」っていう自分のイメージに縛られていました。結果を出さなきゃいけない、提案書を書かなきゃいけない、お客様に受け入れられなきゃいけない・・。せねばならぬ、やらねばならぬ、演じねばならぬ、って。頑張れば頑張るほど、本来の等身大の自分から遠ざかっていたんでしょうね。
でも、つくられた自分では、相手は心を開いてくれません。お客様はもちろんのこと、上司に対しても、部下に対しても同じで、自分の言葉で、気持ちを素直に伝えないと、相手の身体の中に私の言葉が入っていかないんです。
それに気づいてから、お客様との商談が、どんどん人間臭くなっていきました。営業という役割を演じている自分ではなく、等身大の自分を出せるようになったら、会話も弾み、お客様と会うことが楽しくなった。そうして、自分に素直になるほどに自然に結果がついてくるようになった気がします。
成績が上がって、変わったことはありますか?
スタンスと、発信する言葉が変わりました。その当時の上司に、「言葉って、誰が発するかが大事。結果を出したヤツが発言すると、メンバーも会社もみんな受け止めるようになってくれる。ここからだぞ。お前は発言権を得たんだから、会社とメンバーに何を伝えていくかが大切なんだ」と言われました。
上司もメンバーも、周囲が常に私の行動と発言を見守ってくれている。注目されていることがわかるわけです。だから、自然とスタンスも変わっていく。営業として以上に、一人のビジネスマンとして大きく成長できた時期でした。
その後、起業されたのですが、きっかけはなんですか?
僕は仙台出身です。2011年の東日本大震災の時に、親父が福島で、お袋は仙台で被災しました。私含め、あの時に自分のこれからの生き方、働き方を見直した人は多いんじゃないでしょうか。一生懸命歯を食いしばって頑張ってきた、成長や成功を目指してきた、けれどもそれらは何のためだっけ、と。
それをきっかけに、「人との繋がり」「場づくり」「コミュニティ」というキーワードが私の中で強くなっていき、その4年後に起業に至ります。きっかけは震災・・と言うと語弊があるかもしれませんが、私にとってはそれほど大きいできごとでした。
共感力と言語化が営業でいただいた財産
営業で学んだことは何でしょうか?
営業で身についたのはコミュニケーション能力です。私なりの定義は「共感力」と「言語化」です。人に共感する力と、人の想いを言語化する力は相当高まったと思います。お客様に共感し、「○○さんが考えていることはこういうことですか」と言葉で反復できる力。1日に何人ものお客様に会い、共感と言語化を繰り返すことで培われた私の財産です。
共感力を身につけるには、どうすればいいのでしょうか?
相手の想いを受容し、素直に受け止めること。それが共感力の源泉だと思います。そして、自分の想いを素直に相手にお伝えすること。取り繕っている借り物の言葉に魂は宿らないし、人の心は動かない。素直さは営業の大切な資質の一つだと思っています。
では最後に、営業として働く人にメッセージをお願いします。
営業は人間力が試されます。これを磨くためには狭い世界ではなく、多様な価値観に触れること、越境することが大切です。世界は広い。仕事も色々、考え方も人それぞれ。けれども、自分の興味関心や見聞き知っている世界が狭いと、自分の世界をお客様に押しつけちゃうから上手くいかない。世界中が繋がった今だからこそ、これからの営業は、普段自分の近くにいる人種以外の人と会話をすることが大事だと思います。
営業は会社の外に出て、人に会える仕事です。外と繋がって対価をいただき、感謝もされるって、とても幸せなこと。営業は人生の糧になる。そう信じて、頑張っていただきたいです。
まとめ
32歳で営業という新たな職種に飛び込んだ渡邉さんは、紆余曲折を経験しながらトップへの道を歩んできました。そこで経験したことは、これからの人生の大きな糧となるもの。反射から受容へ。素直な心になることが大切なのだと再認識させられました。
●取材協力
ROCKHILLS GARDEN:http://upbbq.com/
神奈川県川崎市幸区中幸町3-8-1